星に願いを
御用の方は呼び鈴を押してください。
そう書かれた紙がドアに貼られていた。カレンダーの裏面を利用した貧乏くさい貼り紙だった。だが、この安っぽいアパートからしてみれば相応かもしれな
い。なにはともあれ、指示に従い呼び鈴に指を伸ばす。
「・・・」
予想を裏切らない安っぽい音がした。一歩下がって家主の登場を待つ。何気なく時計を見てみると、22:51。約束の時間まで9分。頃合いだろう。
周囲は静まりかえっていて物音ひとつしない。共同廊下の電灯が忙しない点滅を繰り返していて、今にもきれてしまいそうだ。―――と、ぼんやりと視線を投
げていると。カチリ、とドアが小さな音をたてた。
「おまた」
幼い声と、そして、あどけない笑顔が覗く。
「おまた~。せ!」
飛び出してきたのは女、というより少女。高校生か、見ようによっては中学生でも通るだろう。
「こんにちばんわ。時間通りだね~。どうぞ、入って」
「―――・・・」
念のため、部屋のネームプレートを確認する。白矢真、と手書きの苗字がそこにあった。
「白矢真、零・・・って」
「うん。私だよ」
「・・・・・・」
改めて、まじまじと、不躾に、少女を―――このバイトの雇い主だという少女を眺め回す。
「こんな、ちんちくりんが」
「ち! 小さくないから! ないから!」
腰をくねらせ、零は妙なポーズをとった。
「・・・なんスか、それ」
訊くと、今度は、無い胸を強調するようなポーズで睨みつけてくる。
「どうだ!」
「どうだと言われても」
コメントのしようがない。
「とりあえず、早く面接してもらいたいスね」
「っは! そうだった」
本気で忘れていたのか。慌てて姿勢を正した零は、わざとらしい咳払いを一つ。にっこり笑って。
「さあ、どうぞ」
ドアを開け放って俺を招き入れた。
「・・・」
分かりきっていたことだが、家の中は狭かった。入ってすぐに台所と、おそらくトイレと風呂のドア。奥に六畳ほどの和室。あちこちに段ボール箱が積み上げ
られていて、生活スペースというよりは物置といった印象を受ける。
「ええと、大学生だっけ。いいね、ぴっちぴち~。もっとオジサンが来るかと思ってたよ」
軽い足取りで部屋の奥まで跳ねていった零は窓際で手招きする。
「遠慮しなくていいよ~。ほらほら~」
「―――・・・」
遠慮はしていない。それでも俺は玄関に立ち尽くす。部屋の中に、気になるものがあった。
「なんスか。それ」
「ん?」
「それ」
部屋の中央にあるレトロな卓袱台。その上で、全裸の女が寝ていた。この位置からではよく見えないが、ハタチ前後と思われる巨乳女だった。
「あ。邪魔だよね。もうすぐ目を覚ますと思うんだけど」
「生きてんスか」
「もちのろん」
零が親指を立てた時。突然、女が寝返りをうって床に落ちた。
「―――ん・・・ぁ。いてぇ・・・」
呻きが漏れる。
「いてぇな・・・くそ・・・」
呻きながら、寝起きの緩慢さで女は身体を起こした。長い髪がさらりとこぼれる。美人、だった。成熟した身体、白い肌。眺めていると、女と、目が合った。
「―――・・・」
「・・・・・・・・・」
寝惚け眼のまま女は首を傾げる。そこに、零が割って入ってきた。
「起きて起きて~。内容説明するよー」
「ん・・・ん―――・・・」
女の視線が俺から逸れる。俺の存在にたいして興味を抱くことなく、傍の段ボール箱にぐったりともたれかかった。再び眠りに落ちてしまいそうなほどふらつ
いている。
「ほら、早く~」
「説明って・・・。面接じゃないんスか」
早々に嫌な予感がするものの、俺も部屋に上がり込んだ。歩くたびにギイギイ音がする。
「実は、書類受け取った時点で採用みたいなもんなんだよね。面接って・・・ほら、面倒だし」
座布団を勧められたが、全裸女の隣だったため速やかに辞退した。開けっ放しの窓の前に腰を下ろす。女より微妙に後方なため、段ボール箱効果もあって視界
に入るのは、女の脚や腕くらいになる。
「さあさ、ちゅうも~く!」
パンパンと手を叩いて零は筒を振り上げた。かと思えば、筒を卓袱台に置いて伸ばしていく。それは大きなポスターだった。アメコミ風のイラストで描かれて
いるのは、ベタな変身ヒーローとヒロインらしき男女。
「キミたちには、こうなってもらうよ」
「ワケがワカリマセン」
「え? なんで?」
零は素で驚いている。その反応に俺が驚きだ。
「ヒーローショーやるなんて聞いてないスよ。社会貢献だか奉仕活動だかがどうのこうのって内容っしょ」
「そだよ。だから、これ」
当然だと言わんばかりに零はポスターを指差す。
「なんで、これ」
「むぅ。もしかしてオツム弱いのかな」
不愉快な呟きをもらして、零はそばの段ボール箱を漁りだした。出てきたのは、束ねられた大量の紙。
「ほら」
「なにが」
「私の研究レポートだよ」
覗いてみると、読む気も失せる英文が紙面を埋めていた。その紙束全てがそうなっているらしい。
「ということだよ」
「・・・まとめると、つまり?」
「仕事内容は、正義の味方でっす!」
「 」
全力で、窓の外にレポートを投げ捨てた。二階から夜の闇へ。クリップでとめられていたため散らばることなく地上に落下していった。
「うああ! なにすんの!」
「―――つい」
「~~~~っ」
だが零は拾いに行こうとはしなかった。唇を尖らせたまま、別の紙を卓袱台に置く。今度の紙束は薄い。せいぜい二、三枚だろう。それが二つ。それぞれが、
ヒーローとヒロインの詳しいデータをまとめたものだった。
「正義の味方は奉仕活動だよ。社会のため世界のため。漫画の中だけじゃなく、リアルに必要なんだから」
「それは警察とかの仕事スよ。ヒーローなんて明確な形にする必要ないんスから」
「明確な形だからこそ必要なんだよ。正義のシンボルってものは」
「―――」
ふと、視線を感じた。女が俺を見てにやにや笑っている。
「・・・なんスか」
「オマエ、真面目だよな」
からかうような口ぶり。寝起きとは関係なく、ねっとりと絡みつくような口調と声音は自前らしい。
「ショーだろうがガチだろうが、どっちでもよくね? 拘ることかよ」
「俺は拘るんスよ」
「あ、そ。でもよ、金が欲しくて来たんだろ。大金が手に入るからこそ、あんな胡散臭い内容説明だけで申し込んだんじゃないのかよ。ここまで来といてグダ
グダ言いっこなしだろうが」
「アンタも、そうなんスか」
「そう。とっとと終わらせて帰りたいからさあ、オマエの態度イライラすんだよな」
「―――協力してもらうにこしたことはないんたけど、どうしても無理なら私も諦めるよ?」
微妙な空気を察したのか、俺と女の表情をうかがいながら零は続けた。
「悪い奴をやっつけるだけだから難しい話じゃないんだよ。あまり時間が無くってね。こっちとしては早いとこ準備を始めたいわけなの」
「なんの準備スか」
「うん。まずはヒーロー改造手術だね」
「―――」
「それから戦闘訓練とか」
耳か頭がおかしくなったのかと思ったが違うらしい。零は真顔で言っている。
「改造? 俺が?」
「こんな感じで」
イラストのヒーローが無機質な仮面の下から俺を見ている、気がする。
「改造されて、正義の味方になって、悪者と戦って、世界の平和を守る、と。それがバイトの内容だ、と」
「うんうん、そうそう!」
「帰るっスわ」
立ち上がろうとすると、女が足を掴んできた。
「オマエがやめるつったら別のやつ捜してくんのに時間かかんだって。さっさと金もらいたいわけよ、オレ」
「あんたがいるじゃないスか」
「ばッか。オレは、こっち」
そう言って女が手にしたのは、ヒロインが描かれている紙。改めて見て気がついた。そのヒロインの顔は、この全裸女にそっくりだ。
「先着順なんだよねー」
「ヒロインが一番とか、おかしいっしょ」
「ノンノン。襲われて攫われるだけのヒロインじゃないよ。こっちも当然、改造済み。特殊能力を備えた、歌って戦える準主役なーのーだー!!」
高らかに言ってのけた、直後。ドン、と壁が音をたてた。部屋が静まりかえる中、ドンドンドンドンと音が続く。
「ぅああ・・・ごめ・・・ごめんなさい、ごめんなさ~い!」
零は壁に向かって頭を下げている。どうやら隣人からのクレームらしい。こんな時間に騒いでいれば当然と言える。ただでさえ薄そうな壁。零の甲高い声は全
部筒抜けだったかもしれない。確か、このアパートにはここを含めて八つの部屋があったはずだ。クレームが来なくても、左右と下の部屋の住人は確実に迷惑し
ていることだろう。
「・・・で、アンタはいつまでそうしてんスか」
腰を落ちつけたというのに、女の手はまだ俺の足を掴んでいる。
「さっきから文句一つ言わないスけど、アンタはこの話、全部納得してんスか」
「だって、オレもうこんなだし」
「―――・・・」
女が身体をこちらに向ける。恥じらいもせず隠そうともせず、こちらが一方的に気まずくなる態度だ。何より、近い。
「なあ。これ、どう思うよ?」
「はあ・・・? どれ」
「オレの、この身体」
女の手が膝に触れた、かと思えば、そのまま膝を割って足の間に入り込んできた。
「ちょっ・・・」
反射的にのけ反ったが、後ろは壁。逃げ場などない。
「・・・っ」
女には触れないよう、出来る限り壁にへばりつく。そんな俺の努力を面白がるように、女は顔を寄せてきた。
「ふ、ふ・・・。どんだけ焦ってんだよ、オマエ」
女の手は膝から腿に滑っていく。焦らすような手つきで際どいところまで撫でていくと、そこから服の中に滑り込んで腹筋を這った。
「はは・・・意外。いー身体してんのな、オマエ」
「・・・そりゃどうも・・・」
女の真意が窺えない。何かを企んでいるということだけは察することができるのだが。
「オマエもさ、触っていいぜぇ、好きなとこ。感想教えてくれよ」
「・・・頭、おかしいんスか」
「かもしんねぇなぁ?」
薄い笑みを浮かべた女は指を滑らせ、俺のベルトに手をかけ―――。
「いっちゃん、下品だってばっ・・・!!」
「―――」
零の声で、女の動きは止まった。不愉快そうに眉を寄せていたが、やがて、小さな舌打ちと共に俺から離れた。
「ガキが・・・サービスしてやってんのに勃起もしねえ。おい、零っ。これ駄作なんじゃねえの」
「駄作とはなにさー。いっちゃんが下品すぎるんだよ。身体が良くても中身がそんなじゃ興奮なんかするはずないじゃんか」
「オレのせいかよ?」
女が俺に訊いてくる。
「そうに決まってるよね~?」
零が同意を求めてくる。
「・・・・・・」
二つの視線を受けて、俺は、重く肺に溜まっていた空気を吐ききった。
「アンタたちが何の話をしてるのか、微塵も理解できない」
「え? ばか?」
零の口からそんな言葉が漏れた。100パーセントのうっかりだったらしく、言った後に慌てて口を押さえている。
「と、とにかくっ。悪者をやっつけるっていうのがこの仕事の全てだよ」
ばつが悪そうにしながらも、零がふざけている様子はない。俺の前にやってくると、しゃがんで目の高さを合わせてきた。諭すように声と表情を和らげて続け
る。
「無理強いはしないよ。本人のやる気が大事だからね。でも、協力してくれるなら助かるし、私はすごく嬉しい」
「―――・・・」
「私は戦えないから誰かの力を借りるしかないんだよ。もちろん、出来る限りのサポートはするよ。最善を尽くす。だから――正義の味方、やってくれるか
なぁ?」
「いやだ」
「――――。――――・・・へ? え?」
そんな答えが返ってくるとは夢にも思ってもいなかった。零の呆けた間抜けヅラにはそう書いてあった。何度も瞬きして現実を噛みしめている隙に腰を上げ
る。
「てことで話は終わりスね。さようなら」
零の脇をすり抜け玄関に向かう。すぐに慌ただしい足音が追ってきた。
「なんで? どうして? どういう流れ? なにがどうなってそんなことになっちゃったのっ?」
両手を広げて零が立ち塞がる。
「簡単に言うと、馬鹿らしいからってとこスね。内容知ってたら絶対に来なかったし」
「超秘密事項なんだから軽々しく公表できないんだよぅ! 敵がどこに潜んでるかもわからないんだからさ、仕方ないじゃんっ?」
「バレて困るようなことでもないし」
「こーまーーるーの!」
喚くだけ喚くと、零は乱れた呼吸を整えた。また壁を叩くクレームがきているが、今の零はそれを気にも留めていない。全身を使った深呼吸で自分に言い聞か
せている。
「落ち着けー・・・落ち着けー・・・落ち着くんだー・・・・・・よし、落ち着いたー・・・」
「・・・・・・」
「さて、と」
ゆっくりと見上げてきた零の顔は、幼さも親しみやすさも消えていた。目が、違う。真剣、真摯、そんなものではない、何か。
「もう一度だけ訊くね? 正義の味方、やってくれない?」
「やらない」
「―――そっか」
零が、頷く。広げていた腕を下ろすと、すたすたと歩いていった。が、途中でガクリとバランスを崩して寄りかかるように台所の流しに手をついた。胃の中身
をぶちまけそうなほど重く深い溜息をつき。
「馬鹿らしい・・・馬鹿らしいか・・・。大きくなったら正義の味方になるなんて言ってた無垢な少年も、気がつけば社会の毒にやられてるものなんだ
ね・・・」
ちなみに、俺の将来の夢がヒーローだったという事実は微塵もない。
「仕方ない・・・仕方がないんだよね。先に進まなくちゃ。時間が無いんだから」
自分に言い聞かせるように呟いた零は。
「だから、お願い死んで!!」
包丁を握りしめて元気に振り向いた。
「は・・・あ?」
突拍子もない展開についていけない。だが、対する零は、ウキウキもしくはワクワクといった言葉が合う表情で迫ってきた。
「こんなことになるなんて残念だよ。でも、秘密を知ってしまったからには生きて帰れると思うなよ~」
口調は冗談そのものだった。だが、包丁は。使い込まれて先が欠けた、生活感あふれる包丁だけは生々しく危機感をあおってくる。
「本気で言ってんスか・・・」
「私は年中無休で大真面目だよぅ」
後ずさった俺の背中が壁にあたり、零はニヤリと笑った。零との距離は一メートルほど。大きく踏み込んでこられれば、包丁はあっさりと俺の身体に沈むだろ
う。俺が玄関にたどり着き、ドアを開け、外に飛び出すのには、果たして何秒かかるのか。どちらが速いかなど考えるまでもない。
「なんでそんな楽しそうなんスか・・・」
「そう見える? だったらそうなのかもねぇ」
「・・・ちなみにこれ、初体験スか?」
「花も恥じらう乙女にそんなこと訊いちゃいけないんだ~。えっち~」
「そりゃあ、すんませんね・・・」
零の緊張感のなさが、逆に怖い。前触れもない次の瞬間、あっさりと刺されていそうな気がする。
「・・・」
ちらりと様子を窺って見ると、女は窓際で欠伸をしている。刃物を持ち出している状況で暢気にもほどがある。それとも、二人は初めからグルで、俺をから
かっているのか。考えたところで分かるはずもない。訊いたところで答えなど返ってこないだろう。
「・・・命乞い、とかしてもいいスか」
「いいけど、きかないよ~」
「正義の味方のくせに・・・」
「私はただの研究者だよ」
「―――・・・」
どうしてこうなる。
正義の味方? 改造手術? 口封じ? バイトの面接を受けに来ただけなのに。どこで何を間違えてしまったのか。
「・・・平和な日常って、本当に大切だよ・・・」
≫ 相手は子どもだ、やってやる
≫ 相手は刃物だ、慎重に