ホれたりハれたりモられたり



 「解毒剤を渡してほしいんだ」
 コンビニから帰ってくると、アパートの部屋の前に見知った姿があった。時刻は23時を少し回ったところ。こんな時間の来客は想像していなかっただけに、 よっぽどの急用なのかと首を傾げる。
 「どした赤井? なんの用?」
 「解毒剤を渡してほしいんだ」
 赤井は同じ言葉を繰り返す。思い詰めた口調にも聞こえた。外灯の薄暗さだけが原因じゃなく、その表情には沈んだ真剣さがあった。
 「げどく、ざい?」
 けれど言っていることは全く理解ができない。脳内変換が間違っていないのなら、解毒剤というのは毒を消すための薬のことだろう。どうしてここでそんな話 が出てくるのか。ぼんやりと頭に浮かんだのは、昼間に赤井に渡したカップケーキのこと。お菓子作りをするたびに、おすそ分けという名で赤井には味見係に なってもらっている。初めて作るものでもそれなりに自信はある、けど、もしかすると今日の作品があまりにマズすぎて遠回しな嫌味なのか、と。
 それにしても こんな時間に。
 「おかしいなあ。変な味はしなかったけど。赤井の好みじゃなかった?」
 「―――? なに、が?」
 「え。お菓子の話じゃなくて?」
 「・・・そうだけど」
 ふたりしてハテナマークを浮かべて沈黙が訪れた。会話がかみ合っていない。
 「ええと。とりあえず中入ろうか。うん」
 買ってきたアイスが気になって、いそいそと家の鍵を開ける。赤井は難しい顔をして立ち尽くしていた。
 「俺は・・・いい。こんな時間だし」
 「こんな時間だからこそ。わざわざ来てるんだし、お茶くらい出すよ」
 言いながら腕を掴むと、こっちが驚くほど赤井は身体を震わせた。けれど挙動不審は今に始まったことじゃない。思ったほど抵抗しない赤井をそのまま家に 引っ張り込む。
 「はい、いらっしゃーい」
 入ってすぐに台所。奥が生活スペース。とりあえず冷蔵庫に直行してアイスを収納して一安心。
 「なにしてんの。あがって?」
 「・・・・・・」
 赤井は玄関から動こうとしない。緊張か警戒か、そんなもので表情を硬くしている。仲良くやっていると思い込んでいただけにこの態度はかなり違和感を覚え る。
 「さっきの、解毒剤? ってどういうこと? 赤井、毒状態なわけ?」
 「―――・・・おまえが。おまえの作った、の、が」
 相変わらず、口下手な赤井の言葉は理解しづらい。その辺りは幼馴染的解釈でカバーする。
 「あげたお菓子に毒が入ってたってこと?」
 「―――」
 大きく頷く赤井。あまりに真剣すぎて驚いた。冗談なんか言わない人間が、毒云々という冗談にしか聞こえないことを本気の本気で口にしている。
 「―――。ええと。大前提として毒なんか入れてません。それに、赤井ピンピンしてんじゃん」
 顔色を窺おうと近付くと、俯き気味の赤井は明らかに動揺して後ずさった。その拍子に背中がドアにぶつかる。
 「あ、もぅ。早くあがってって言ってるのに」
 再び手を取って引っ張り上げようとすると、赤井は全力で抵抗してきた。磁石でもついてるんじゃないかと疑いたくなるほどピッタリとドアに張り付いたまま 動かない。
 「なんで嫌がってんのっ」
 「―――・・・」
 力比べになったら敵わない。早々と無理を悟り手を離す。
 「ったく・・・ええと。なんの話してた・・・・・・け?」
 赤井の手が両肩に触れたと思ったら、そのままやんわり押し離された。
 「・・・」
 そして赤井はやっぱりドアに張り付いて俯くように視線を逸らしてしまった。ここまで拒絶されてしまうと、さすがに傷つく。
 「―――・・・あの、さ。ちょっとリアルにショックかもしれない。もしかして怒ってる?」
 「・・・そうじゃない。むしろ、逆・・・で」
 「逆? なんの逆?」
 訳が分からないまま話が全然進まない。幼馴染の経験をもってしても限界らしい。大きな溜息が出た。赤井に腹を立てているわけじゃなく、この状況に疲れ る。
 「赤井さぁ、ゆっくりでいいから順番に聞かせて? ごめん。よく分からなくて」
 「・・・」
 ちらりと視線を上げて、赤井はまた俯いた。
 「惚れ薬、の・・・」
 あああああああ。いきなり話が吹っ飛んだ。
 「ほ・・・ほれぐすり?」
 「の、せいで。だから解毒剤を」
 「―――? あ。ああ! 解毒剤って、惚れ薬の解毒剤ってこと? なるほど!」
 って、余計にワケがわかりません。解毒剤だろうが惚れ薬だろうが身に覚えがないのに変わりはない。更に問いただそうとしたけれど、赤井の言葉がまだ続き そうで出かかった質問を飲み込む。
 「最初は、平気だったんだ。でもだんだん。クッキーとかもらって食べてるうちに、だんだん」
 たどたどしい独白は続く。
 「嬉しいって思うようになった。頭の中、いつも考えるようになって。話するのも一緒にいるのも楽しく、て」
 あれ? これって、なんか?
 「他の奴と喋ってるのとか嫌で・・・ずっと俺のところにいればいいのにって。俺、こんなじゃないのに、我慢できなくて」
 「赤井? あの・・・」
 「メールとかじゃ駄目だって、気がついたらここまで来てた。顔、見たらもう駄目で・・・。俺、駄目なんだ」
 掠れる声で、でも赤井ははっきりと言い切った。
 「す・・・好きだ。おまえが」
 「な―――」
 「これって惚れ薬だろ」
 「―――。―――? ―――は?」
 いろいろと頭の中が大変なことになっていて理解が追いつかない。落ち着け落ち着け。まずは深呼吸。吸って吐いて吸って吐いて吐い・・・あれ?  吸っ・・・? 吐? 落ち着け落ち着け。深呼吸。
 こっちの気も知らないで赤井は飽くまで真剣だった。
 「惚れ薬のせいで俺はおまえを好きになっているんだろ?」
 「―――ぁ」
 阿呆がいるよ。阿呆がいるよ? 阿呆がいるよ!
 開いた口が塞がらなかった。一瞬でも緊張したのが馬鹿らしい。
 今年でいくつになる赤井? 本気の本気の本気で言っ・・・・・・て、るんだろうね赤井は。ちらちらと様子を窺ってくる赤井に どう声をかけたものかと考え、ふと疑問が浮かんだ。
 「赤井さぁ、どうしてそんなに遠くにいるの? 一緒にいたいとか言ってなかった?」
 「好き、だから。その」
 「ん? 赤井って天邪鬼?」
 「こんな時間だし・・・。部屋ふたりとか。・・・お、ぉ・・・お」
 「お?」
 躊躇った後、赤井は口早に呟いた。
 「襲いそうになるから」
 「ええ!?」
 反射的に身構えて距離をとると、赤井は慌てて首を振った。
 「しないっ。そんなことはしないっ・・・けど。一応。念のために」
 「そ・・・そっか。そだね。それかいいよ」
 強烈なカミングアウトでお互いに気まずくなってしまった。言った後悔、聞いた後悔。赤井もそれきり黙ってしまった。
 時計の針がチクタク時を刻み、蛇口から漏れた水がシンクを打つ。アパートの前を通る車のエンジン音。いつもこの時間に廊下を駆けていく子どもの笑い声。
 「―――俺は」
 「あ! 解毒剤! そうそう、ちょっと待って!」
 なぜか赤井の言葉を遮ってしまった。逃げるように背中を向けて赤井から離れる。
 なんだろう、さっきから心臓がうるさい。パタパタと手で仰いでみたけど顔の火照りはどうにもならなかった。これは、もしかしなくても赤井を意識してい る? いやいや、そんなはずない。
 「ぅぅ・・・なんで」
 冷凍庫に頭を突っ込んでみた。無駄だと分かっていながら、このまま思考回路も凍ってしまえと念じた。
 「ふ、う」
 買ってきたカップアイスを取り出し冷凍庫を閉める。
 「ちょっと待ってて・・・」
 蓋を開け、アイスに粉糖をかけ、木のスプーンを突き刺して出来上がり。
 「どうぞ!」
 差し出すと、戸惑いながら赤井は受け取った。過程を見ていたのなら不安になるのもよく分かる。ただのアイスとただの粉糖に解毒効果なんかあるはずもな い。けれど、思い込みは思い込みで相殺できる、はず。
 「・・・」
 しばらくアイスを眺めていた赤井はもくもくと食べ始めた。なぜかドキドキする。あげたお菓子を赤井がその場で食べることもあったけれど、こんなに緊張し なかった。
 なんだろう、この感情は。赤井は元に戻るのかどうか。戻らなかったら? 戻ったとして、赤井はどう接してくる?
 考えても仕方のないことが頭の中をグルグルグルグル。
 「ごちそうさま」
 「ぅ。早い」
 不安を隠して無理矢理笑って空のカップを受け取る。
 「これで大丈夫っ。もうバッチリ」
 「そう、なのか。実感がないけど」
 「そんなものだって。効いてる効いてる。ほら、ときめかないでしょ?」
 「・・・」
 見つめてくる赤井を見つめ返し、逃げたくなるのを必死で堪えた。
 「いや、元々ときめいたりはしてないけど」
 「だったら最初から勘違いだったのかもねえっ。よくあるし? 友情とか愛情とか、さ」
 「―――・・・」
 「うん。じゃあ今日はこのへんでお開きにしようか! ゆっくり休めばきっと―――」
 不意に、赤井が顔を寄せてきた。顎に添えられた指に上を向かされ、唇が、触れ―――。
 「     」
 そっと離れた赤井は微かに眉を寄せた。
 「確かにときめきはしない、けど」
 いつも通りの落ち着いた口調で何かのたまっている。
 「とりあえず様子見てみる。明日また報告するから」
 「     」
 「今日は遅くにごめん。おやすみ」
 呆気ないほどあっさりと赤井は帰っていった。
 「     」
 静まりかえった部屋。耳鳴りがする。今、何時? 多分きっと夢を見ていた。立ったまま玄関で眠っていたらしい。まだ現実味がなくて、夢の中にいるような ―――。
 「―――って夢じゃねえええええ!!」
 近所迷惑も顧みず思い切り叫んでいた。アイスカップをごみ箱に投げ捨てて、そのまま玄関に蹲る。
 「なんっっ・・・」
 吐息。感触。香り。赤井をあんなに近くで―――近くどころの騒ぎじゃなかったけれど―――感じたのは、もちろん初めてだった。赤井にとっては何の下心も ない、ただの確認行為でしかなかったんだろう。
 「ばっか・・・も・・・馬鹿だって・・・」
 頭を抱えて呻いて唸って、ひとりで何やってるんだろうと笑えてきた。
 「これじゃ、まるで・・・」
 その先は口にしない。
 「ははは・・・まるで、まるで・・・」
 だけど。解毒剤を欲しがったということが答えになっている。そんな想いは迷惑だと言ってるようなものだ。こっちにその気はなかったのに、勝手に妄想暴走 させ て。
 「でも」
 惚れ薬という思い込みで抱いてしまった好意はどこへ行ってしまうんだろう。
 「・・・つまり」
 つまり。
 明日、赤井に会うまで分からないという結論に至る。
 「あー・・・もぅ、やだぁ・・・」
 幼馴染ってのはなんて厄介なんだろう。 LIKE と LOVEの境界線が分からない。
 「ホントに・・・俺、赤井のこと・・・好・・・?」


end
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