ほしいもの



 「透ってさぁ、彼女いる?」
  空は晴れていて、空気は澄んでいて、世界は平和で、街行く人々は幸せそうだ。俺だって幸せだ。幸せ―――だった。その一言に胸を抉られるまでは。
  4月10日。ハッピーバースデイ俺。
 「―――ん? どした?」
  俺が頬を引きつらせたのが不思議だったのだろうか。首を傾げる友人は、俺のリアクションが予想外だと言わんばかりだ。おそらく悪気はなかったのだ ろう。 だが、その殺人的に無慈悲な問いが悪意以外の何かで構成されているのだとしたら教えてもらいたいものだ。
 「・・・彼女とかいたらさあ、俺、誕生日の朝から晩まで荻と過ごしてるわけないじゃん・・・」
  腹立たしさに勝る惨めさを噛み殺しつつ文句をたれる。敗北宣言のようなものだが、相手の反応は、意外にも。きょとん、という言葉が相応しいもの だった。
 「なんだよ、その顔・・・」
  妙なことでも口走ってしまったのかと自分の発言を思い返してみるが、見当がつかない。
 「―――あ。そうか、ちゃんと伝わってないのか」
  ややあって、友人はひとりで納得しはじめた。俺は置き去りだ。
 「・・・なんなんだよ・・・」
  コホン、とわざとらしい咳払いをはさみ改めて問われた言葉は―――。
 「透は、彼女ほしい?」





  4月11日。ハッピーバースデイ昨日の俺。
  荻からの誕生日プレゼントは一日遅れで家に届いた。正確には、届いたのではなく、やってきたのだが。
 「初めまして、コンニチハ! 今日からあなたの彼女になる者です!」
  満面の笑顔で女は言った。事前に聞いていなければ間違いなく不審者の類だ。
  とはいえ俺が聞かされているのは彼女を贈るということのみなので、やはり異常事態には変わりがない。
  長い付き合いではあるものの、今更ながら荻の人格を疑いたくなる。何の冗談かと思えば、本気で実行するとは。滅茶苦茶だ。
 「・・・とりえず、入って」
 「はーい。お邪魔しますっ。あ、これ! ケーキ買ってきたんですよぅ! 一緒に食べましょうっ」
  部屋に入ると、女はテキパキとテーブルのセッティングを始めた。
 「プラントのケーキですよ。あの行列のできるケーキ屋さん! わたしのオススメ、チーズケーキです!」
  皿とフォークまで持参のようだ。マイボトルで熱いコーヒーまで出てきた。準備の良さに、感心を通り越して呆れたい。俺の家には食器がないとでも思わ れて いるのだろうか。
  いろいろと考えているうちに、速やかに正座した女が両手を合わせる。
 「さあ! 早速ですが、いただきましょう! 人間、打ち解けるには食事するのが一番ですよね! ケーキは幸せの象徴なのです!」
  理屈は理解不能だが、急かす視線に負けて腰をおろす。
 「ハッピーバースデイです!」
  言うやいなや、女はケーキを口に入れた。
 「んー! やっぱりこの味ですよねえ。ホールでいけちゃいますよねえ。さあさあ、遠慮しないで食べてくださいよぅ!」
 「・・・いただきます」
  ちびちびとつつく。たしかに美味かった。
  ふと視線を感じて顔を上げると、女が目を輝かせていた。
 「あー・・・、うん。美味しい」
 「ですよねー! よかったー!」
  俺の感想に満足したらしく、にこにことケーキをたいらげている。
  ここは俺の家だというのに、終始ペースを持っていかれているのはなぜだろう。
 「・・・・・・・・・。あのさ、具体的には何しに来たわけ?」
  勢いだけでこんな状況になっているが、よく考えずとも初対面でこれは異様な光景だ。
 「とりあえず、今日は挨拶ですね。でも、わたしの役目はあなたの彼女になることなので、言ってもらえれば何だってやりますよ~」
 「荻に、そう言われたから?」
 「はいっ」
  いい返事だ。荻の名前が出た途端、顔がほころんだ。
 「納得できてんの?」
 「はい。荻くんのためなら何だってできますから」
 「・・・荻に、ふられてるんだよな?」
 「はい。それでもわたしは荻くんが大好きなんです。もっともっと頑張って、荻くんを虜にしてみせます!」
 「俺のためになにやったって、荻の気持ちは変わらないと思うけど」
 「荻くんのため、です。荻くんが望むこと全てわたしが叶えるんです。そのために、完璧にあなたの彼女になってみせます。あなたを愛することもできま す」
  好きな男のために、別の男のものになる。
  本気で言っているのだとしたら、歪んだ愛だ。
  それに、よりにもよって元彼女を贈りつけてきた荻の気がしれない。
 「荻に対する愛情は十分理解した。荻にもそんな感じだったのか? なんでもやりますーみたいな?」
 「なんでもというほどは、していませんね。料理に掃除洗濯、モーニングコールくらいですか。あ、抱き枕になってみようとこっそり布団に潜り込んで怒ら れた りもしました」
 「荻は、そういうの好きそうじゃないからな」
 「そうですね。ちょっと失敗しました」
  女の皿はとうに空になり、その視線は半分ほど残っている俺のケーキに向けられている。気がつかないふりをして少しずつ食べすすめた。
 「で、なんでふられてんの?」
  訊いてはいけないこと―――かと思いもしたが、女の表情は変わらなかった。
 「無理、って言われちゃいました」
 「―――・・・あ、そう」
  価値観だのフィーリングだの、当人にしか分からない部分はあるだろう。
  会って間もないが、俺はこの女にそれなりの好感を抱いている。もちろん恋愛感情にはなりえないものだが。別れるにしても、あの荻が理不尽なやり方を する とは思えないのが正直なところだ。
  ひたすらに尽くすこの愛は―――少し重い、のだろうか。
 「―――あ、そだ。ちょっと電話していい?」
 「はいはい、どうぞー」
  適当に寛ぐように言い残してベランダに出る。電話の相手は当然、荻だ。
 『プレゼントは気に入ったか?』
  荻はワンコールで出た。
 「荻がまともじゃないって思い知った」
 『なんだよ、それ』
  はははと荻は笑う。
 「荻、まだまだ愛されてんじゃん」
 『はは。そうみたいだなー』
 「荻は、あいつ嫌いなのかよ」
 『好きとか嫌いとか、ないかな。あれはそういう次元じゃない』
 「次元て」
  ちらりと振り返ると、女はぼんやりとテレビを眺めていた。
 「―――なんで別れたんだよ。あいつ、いい奴じゃん? 荻ってあんなタイプ嫌いだっけ?」
 『―――』
  その沈黙は、答えづらいが故に―――と思いきや。
 『というか、透。そもそも俺たち付き合ってないけど』
 「は―――あ?」
  言っている意味が理解できない。
 「あ・・・恋人未満っていう・・・?」
 『それも違う。知り合いですらないんだから』
 「待て待て待て。さっきからなに言ってんだ荻」
  体温が下がった気がする。訳のわからない震えが走った。
 「だって、彼女って・・・」
  思い出せ。荻が、あの女を自分の彼女だと言ったことがあっただろうか。
  あの女が、荻のことを彼氏と呼んだだろうか。
  例えば、荻に一目惚れした女がその場で告白してふられて―――いや、掃除だの料理だのしていたという話はどうな  る。全部が嘘だったのだろうか。
 「え・・・と」
  ふたりが真実のみを口にしているのだとすると。
  知らない女が―――部屋の掃除をしていて。
  知らない女が―――料理を作っていて。
  知らない女が―――布団に潜り込んでいて。
  知らない女に、そこまで愛されて。
 「荻、それって 」
 『そういうことだな』
 「――――――」
 ギ、という微かな音で振り返ると、女がベランダの方にやってきた。咄嗟に電話を切る。
 「終わりました~?」
  変わらない笑顔。会話は聞かれていないようだ。
 「さっきテレビで美味しそうなケーキ紹介してましたよ。ティラミスも捨てがたいですよねぇ! 今度来るときにでも持ってきますねっ」
  部屋にもどると、残っていた俺のケーキが消えていた。
 「えへへ~。食べちゃいました」
 「いいよ、別に」
  同じように振舞おうとしても、ぎこちなくなってしまう。そんな俺の変化に気付いているのかいないのか。
 「じつはですねぇ、4月の10日は、わたしの誕生日でもあるんですよ」
 「へえ・・・おめでとう」
 「でもでも、プレゼントを要求するつもりなんかありませんから安心してくださいねっ」
 「ああ・・・うん」
  どうにかして早く帰らせようと、頭の中はそればかりだ。
 「セルフで盛大にお祝いしちゃいましたから!」
 「・・・荻には祝ってもらわなかったのか?」
 「おめでとうを言ってもらいました! 思い切ってプレゼントをおねだりしたら断られちゃいましたけどね~」
  真実を知らないままならば、これも恋する乙女の切ない誕生日エピソードとして聞けていたことだろう。だが知ってしまった今は。なんておぞましい話 だ。
 「高価なものでも頼んだのか?」
 「とんでもない。お金で買えるものなら、わざわざ荻くんに言わないですよ。荻くんにしかできないからこそ荻くんに頼んだんです」
 「・・・一日デートとか?」
 「いえいえ。荻くんが忙しいの知ってますから、無茶なお願いはしません。簡単なこと―――のつもりだったんですけど、わたし欲張りすぎちゃったみた いです ね。それが原因でふられたんですから」
  切ない笑顔。本来ならば慰めるところだろう。それなのに、胸がざわつく。嫌な予感というやつだ。
 「・・・なにが欲しかったんだ?」
 「荻くんの精子です―――」





 「無理。あれは無理だ」
  勢いよくテーブルに突っ伏すと、やや遅れて笑い声が降ってきた。
 「透なら受け入れることができると思ったんだけどな」
 「俺はゲテモノ食いじゃあない」
  じと目で睨みつけた荻は笑ってコーヒーをすすっている。
 「・・・ストーカー押しつけるなんで何考えてんだよ」
 「ん? 変なことでもやらかした?」
 「変なこと・・・は、なかったけど」
 「だろ? 俺以外の人間に対しては、いたってまともな誰からも好かれるタイプだよ、あれは。だからこそ透に贈ったんだ」
 「・・・・・・」
  人間を贈ろうと思いつく発想がまともではないという自覚は―――むろん、ないのだろう。
 「今も現役ストーカーなわけ? のわりに元気だな荻」
 「ま、気にするほどのものじゃないし」
 「気にしろよ」
  当事者ではない俺でも、思い出して溜め息が出る。どこからかあの女に見られているのではないかと今も不安だ。
 「とにかく、丁重に返品させてもらうからな。もっとまともな物よこせよなぁ。誕生日なんだから存分に奮発しろ。―――あ、当然ここは荻の奢りだから な」
  八つ当たりではなく、これは正当な要求だ。
  どうにか穏便に女を帰した後、荻には散々文句を言ったが、それくらいでおさまるはずがない。これは、その延長線だ。
  いつも飄々としている荻を今日ほど憎らしく思ったことはないだろう。
 「ああああ彼女欲しい。公衆の面前でイチャイチャしたい。素敵でまともな彼女、どっかに落ちてねーかなー」
  ヤケクソ気味に呟くと。
 「じゃあ、俺は?」
 「はあ? 荻が、なに」
  にこにこと、それは怖いくらいに爽やかな笑顔だった。
 「俺なんかどう?」
 「―――・・・」
  瞬時に、いわんとすることが理解できた。
  荻の言葉は全てが冗談のように聞こえて、なおかつ、ことごとくが本気のようにも聞こえてしまう。
 「彼女じゃなくて悪いけどな」
  はははと笑う荻。
  俺も笑おうとして、けれど、どうしても笑顔は引きつった。
 「――――――・・・・・・荻、それ笑えないわ」
 「うん。笑わなくていい。マジだから」


 end
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