藤吉郎とクマ



 ―――コンっ

 響き渡ったその音の、なんと軽やかなこと。高級な道具を使っていることが耳だけで理解できる。

 ―――コンっ

 リズムよく、音は空気を振動させる。

 ―――コンっ

 聴かせるための音ではない。聴いてこその音。むしろ、これは音楽。これは芸術。聴く者に安らぎと感動を与える素晴らしき――・・・。


 「というか」
 藤吉郎は足を止めた。振り返ったその顔が、肉体的ではない疲労を浮かべている。
 「よくもまぁ、そんなに楽しそうに語れるものだ、と、俺は感心したぞ」
 同じような言葉が背後からエンドレスで聞こえてくるのだ。興味のない藤吉郎には楽しめるものでも語り合いたいと思うものでもない。ので。自然とイヤミが 出たわけだが、効果はいまひとつ―――否、イヤミにすらならなかったらしい。
 「だって楽しいんだもん」
 しれっと言ってのけた下林みずほ。語りに夢中で遅れていた足並みを藤吉郎にそろえた。
 「楽しい?」
 藤吉郎がウンザリと訊き返す。
 「楽しい。ものすごく。松永は楽しくなさそうなオーラ垂れ流してるみたいだけど~」
 跳ねるように石段を上ったみずほは、実に楽しげに藤吉郎を見下ろした。
 「俺の得意分野じゃないからな」
 なので、石段を登る足が重い。なので、みずほがいる。短く息を吐いた藤吉郎は早くも疲れた顔を階段の先に向けた。
 「こういうのは早く終わらせるに限る。・・・みずほが、サッと行ってパッと片付けてくれりゃあ手っ取り早いんだがな・・・」
 「それでもいいけどー。参考までに見といたほうがいいって。松永、こっち方面からっきしじゃん? 素人でも案外なんとかできるもんだからねえ」
 「名倉一馬が自分で解決するべきなんだ。本当は」
 恨めしや、と訴える目で藤吉郎は境内を睨んだ。

 ―――コンっ

 「とか言って。面倒なだけでしょ。ホントは」
 「―――」
 じ。と藤吉郎はみずほを見つめた。真顔すぎる真顔で。
 「いいや? 全然?」
 「松永って嘘つけないよねー。ま、なんでもいいや。すぐそこだから気合入れていこー」

 ―――コンっ

 真夜中の神社で行われている、

 ―――コンっ

 それは、まさしく丑の刻参り。
 「おお。いるいる」
 藤吉郎は茂みに身を潜めた。音の発信源は木々の間から辛うじて確認できる程度。白い姿が闇に浮かんでいる。丑の刻には少々早いのだが、それは疑いようも ない呪いの儀式だった。
 「あたしのリサーチは完璧なんだから当たり前ー」
 「人違いってことはないのか? あれは確かに名倉一馬を呪っているところなのか?」
 「だからー。完璧って言ってんじゃん。得意分野じゃない松永は、おとなしくあたしの―――」
 「おいこら、そちらさん!」
 前置きもなく藤吉郎は大声で呼びかけた。みずほが声の出ない絶叫をあげる。
 音が、止まった。白い姿が微かに揺れ――振り向いたようだった。藤吉郎が躊躇うことなく突き進むその後ろを、みずほが慌てて追いかけた。
 「ちょっと松永っ。どういうつもりっ?」
 「まあ、俺に任せておけ」
 不敵な笑みでみずほを制し、藤吉郎はさらに呼びかけた。
 「なにがそんなに恨めしいのかは知らないが、そんな陰湿なまねはやめろ」
 「・・・・・・陰湿・・・」
 声を発したのは行為を中断した白い影―――彼女。
 「おかげさまで、うちの名倉一馬が衰弱しきって大迷惑だ。気に入らないことがあるのなら本人に直接文句を言うなり殴るなりしたらどうだ」
 十分に距離が詰まり互いの姿が確認できる位置。藤吉郎が足を止め、みずほはそれに気がついた。
 小槌を持って立ち尽くす彼女には、顔がなかった。
 「のっぺらぼう?」
 「顔なし星人だ」
 「星人・・・。てーことは」
 「俺の得意分野だ」
 藤吉郎の目が別人のように生き生きとしている。心なしか声が弾んでいた。
 「さぁてとー」
 藤吉郎はゆっくりと彼女に歩み寄る。
 「そちらさん、逃げるなよ。こういう場面って目撃されると自分にも何か起こるらしいからな。こっちにはプロがいる。悪いようにはしないさ」
 そして藤吉郎は見た。
 五寸釘で木に打ち付けてあるのは、クマのぬいぐるみ。
 「・・・・・・・・・・・・。みずほ。こんなやり方もあるのか?」
 彼女を眺めてぼんやりと訊く。
 「これはー。間違って覚えちゃってるみたいだねー。なんせ他の星のヒトだから」
 「・・・・・・・・・」
 「でも効果でてるんだからこれもアリなんだ~。へえ~~。あー、やっぱり小槌と釘が上等じゃん。こっちが大切なんだよね。藁人形だろうがクマさんだろう が、道具が良けりゃ呪えるという結論」
 「で、どうすればいい?」
 「行為が止まれば普通は回復するんだけど。クマさんだとどうなるんだろうねー。さすがに、あたしでも分かんない」
 表情どころか顔そのものがない彼女は大人しく状況を見守っていた。藤吉郎が喋ればそちらに顔を向け、みずほが喋ればそれに反応する。逃げたり抵抗する様 子は微塵もない。
 「うーん・・・。どう考えても初対面なんだよな」
 藤吉郎が唸ると彼女は大きく頷いた。眉を寄せたまま、藤吉郎は彼女を眺めまわす。角度を変え向きを変え、目を閉じ記憶の中も漁る。
 「なに松永。なんか気になんの?」
 「いやな、名倉一馬はどこで恨みを買ったんだろうな? 俺といる時しかこういう連中とかかわってないはずだから、前に会った誰かだと思ったんだが」
 「ふーむ」
 みずほも観察に加わった。二人して唸っていると、視線を浴びていた彼女が肩を震わせた。
 「・・・・・・なぐら、かずま・・・。知ってる」
 掠れた声で彼女は言う。
 「どこがどんな風に憎いんだ? 正面きって言えないなら俺が代わりに殴ってやるから」
 「やたらめったら殴りたがるよねー、松永って」
 「代わりに・・・名倉一馬に・・・?」
 「そうだ。思い切ってぶちまけてみるだけでも気が晴れるかもしれないぞ」
 「・・・・・・・・・」
 考え込むように彼女はうつむいた。しばしの沈黙。そして彼女は顔を上げる。
 「・・・一回見た。その時、思った」
 「ほう。一目恨まれか。侮れないな名倉一馬」
 「どんだけ悪人なんだって話だよねえ」
 「だから・・・この方法を教えてもらった」
 「教えてもらった?」
 彼女が手にしている小槌。柄の部分に小さく文字が焼きつけてある。
 藤吉郎がぐるんと顔を向けると、みずほはぶんっと顔をそむけた。
 「みずほ。おい、みずほ。俺にはあの小槌に下林印が見えるぞ、みずほ」
 「あたしには見えないなー」
 「そんな方向を見てるからじゃあないのか、みずほ? しっかり見てみろ、みずほ」
 「あー、もう!! みずほみずほ連呼しないでよ、もぅ!」
 迫る藤吉郎を押しのけ、みずほは乱暴に彼女の小槌を奪った。
 「あーあー、本当に付いてるねえ下林印」
 「なんで軽くキレてるんだ」
 「なーるほど。どうりで質が良くて効果抜群なわけだ。あたしが選んだ一品だけのことはあるね。あーはははは」
 ヤケクソ気味の笑いが響く。藤吉郎は呆れ顔で顔でそれを聞き流した。
 「まあ、とりあえずそれは置いておこう。恨みがあるから呪ったんであって、そもそもの原因は名倉一馬にあるんだからな」
 彼女を見つめ、藤吉郎は胸を張った。
 「さあ。不満、文句、呪詛、すべてぶちまけてみろ! 責任を持って俺が伝えてやろう」
 彼女はゆっくりと首をかしげる。
 「わかんないの? あなたが名倉一馬に言いたいことを、このばかが代わりに言ってくれるんだってさー」
 「・・・言いたいこと、ある」
 そう言った彼女は再びうつむいてしまった。辛抱強く、二人は待つ。待つ。待つ。待つ。
 そして。なんとか聞きとれる小声で。
 「・・・・・・好き」
 ―――間。
 「隙?」
 「犂?」
 首をかしげる二人。
 先に言葉の意味を理解したのはみずほだった。
 「好き!? ちょっと、どうすんの松永!?」
 「は? 透き?」
 「好きなんだって! 好き! ラヴ!」
 「なっ!?」
 藤吉郎も変換ミスに気がついた。彼女に背を向け、二人は険しい顔つきでしゃがみこんだ。
 「タチの悪い冗談にしか聞こえないが・・・。好きな相手を呪うってのはどうなんですか、みずほさんよ?」
 「愛と憎しみの狭間で揺れ動く乙女心は全宇宙共通ってことなんじゃあないですかね」
 「そんなもんですか、乙女心ってえのは」
 「ほっほっほ。松永はまだまだお子ちゃまですなあ」
 「永遠の少年と言ってくれ」
 ちらりと彼女の様子をうかがった藤吉郎は声をひそめた。
 「なんでこんな方法を教えてるんだ。容量用法を守って正しく呪ってください、とか言わないものなのか?」
 「あたしじゃないってー。弟子に店番させた時だね、きっと。恋のおまじないか何かと勘違いして、それを貫いちゃった悲恋なんじゃないの?」
 「・・・なんだそれ」
 背後で、彼女はふらふらと歩きだす。
 「おおっと、待った」
 藤吉郎がすかさず道を塞いだ。
 「どこに行くつもりだ?」
 「どこ・・・。帰る・・・」
 「か、え、る、な!!」
 声を張り上げ、藤吉郎は彼女の肩を掴む。
 「まじないだか呪いだかに頼ってまで成就させたかった恋を簡単に諦めるのか? 本気の本気なら、いろいろやるべきことがあるだろ! 名倉一馬の後をつけて家を確かめ毎日ポストに恋文を投げ込み休みの日には朝も早くから家に忍び込んで寝顔を観察―――くらいの根性がなくてどうする!」
 「それってストーカーだけどねー」
 「恋とは相手を知ることから始まるって誰かが言ってただろうが」
 「言ったかもしれないけどさあ。堂々と勧めちゃ駄目じゃん?」
 「とーにーかーく、だ! こんなにあっさりと引き下がってもいいのか? その程度の想いなのか?」
 「・・・・・・・・・」
 表情のない顔で、彼女は確かに藤吉郎を見つめ返した。
 「・・・好き」
 木に打ち付けてられているぬいぐるみ。それを、彼女は勢いよく引き剥がした。一度しっかりと抱きしめて藤吉郎に差し出してくる。
 「名倉一馬に・・・プレゼント」
 「よし、分かった。この俺が責任を持って渡そう。任せてくれ」
 藤吉郎が大きく頷くと、顔のない彼女は嬉しそうに笑った。頭を下げて、今度こそ去っていく。
 「いい子だねえ」
 背中を見送り、みずほがしみじみ呟いた。
 「渡すの? くまさん」
 「もちろんだ」
 「・・・はら綿もっちゃりしてても?」
 「してても!」


 「ということでプレゼントだ」
 部屋に入ってきた一馬に、藤吉郎はいきなり差し出した。
 「どういうことだよ」
 眉をひそめながらも一馬はくまのぬいぐるみを受け取った。
 「なんかこれ、腹の綿が出」
 「愛情が注入された証だ! 気にしなくていい! むしろ喜んだほうがいいな、うん!」
 「はあ? 愛情?」
 一馬は胡散臭そうにぬいぐるみを見下ろした。首にピンクのリボンを付けたくまのぬいぐるみは大きな目で一馬を見つめる。
 「名倉一馬を大好きだという子から預かったんだ」
 「俺をっ・・・?」
 「その好きっぷりはただ事じゃあないぞ。恥ずかしがり屋な彼女は毎日毎晩のおまじないに頼ってまでどうにかしたいと思っていたくらいだからな」
 「っ・・・」 
 「いやあ、いいこだった。結果的に、名倉一馬が寝込んでいた時に俺がたくされてしまったわけだけどな」
 腕を組んだ藤吉郎はうんうんと頷いて――それは、強引に話をまとめようとしているようでもあった。そんな不自然さに、一馬は気がつかない。
 「お、俺・・・。なんか、その、あー、急用を思い出した気がするから帰るしっ」
 ぬいぐるみを抱きしめ、にやけた顔を隠すように一馬は部屋を飛び出していった。ばたばたと足音が離れていく。
 「青春してるっぽいよなぁ」
 静まりかえった部屋に呟きがこぼれる。藤吉郎はソファに腰をおろし、ぼんやりと天井を眺めた。
 「・・・嘘は言ってないよな、俺」


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