「―――ええと。ごめん?」
 首をかしげて見下ろすと。
 「悪いなんて思ってねぇくせに、謝ってんじゃねえよ」
 間延びした声が興味なさげに言った。
 初めて黒瀬とかわした会話が、そんなだ。


食わず嫌い


 さてと。どうしたもんか。いや、どうもこうも。いつの間に か 黒瀬が俺の下にいて、俺は四つん這い的な感じで。つまり、そんな状況だ。
 いい匂いがする。あまい匂い。黒瀬の匂い。
 「あ――・・・たまんない。まじ、で」
 覆いかぶさる。
 「な。くろせー? お願いがあるんだけどー」
 耳元。猫撫で声で囁く。
 「どぉせくだらねェことだろぉ」
 黒瀬が身じろいだ。
 「んー、あー。黒瀬をー、くいたいなーって。い?」
 「いくねえよ。んなの無理だろぉが。ばーーか」
 「や。俺けっこー食うよ。まじ。無理じゃないから」
 言いながら、ちゅっ、と首に吸いつく。案外、白い肌。女みたいに柔らかくはないけど。
 あまい匂いがする。
 「ば。か」
 「んじゃーさぁ。お願いじゃなくて、宣言。俺、黒瀬くうわ?」
 微笑む、と。答えるように黒瀬も笑った。にいぃ、と、嫌らしい顔で見上げてくる。
 「ほんとぉに、ばっかじゃねえのぉ? 出来もしないこと言ってんじゃねぇぇよ」
 「だから、さぁ」
 「くえねえ。ゼッタイ。俺を食うのは不可能だつってんの。理解しろよぉ?」
 にやにや、にやにや。余裕を張りつかせる黒瀬。
 そうだ。最初から、黒瀬は抵抗しない。暴れない。逃げようとしない。
 「俺。ちょっと不機嫌、かも」
 「カルシウム不足ってやつじゃねェのぉ」
 「だよな。やっぱ、黒瀬くわせて」
 再び顔を寄、せ。
 「ばぁか」
 「    」
 黒瀬の手が後頭部に回って。ぐ、ぐっ、と。
 「っ、   」
 俺と黒瀬の距離をゼロにする。
 「   ぅ   」
 口、の中に。異物。
 「は」
 ぬるり、と。
 「   っっ   」
 押し離そうと力を込める、が。なんて馬鹿力。動けない。
 なか。ねとねと、蠢く、虫、みたいで。気持ちワルイ。
 あまい。あまったるくて、吐き気がする。あまい、のは、黒瀬の、あじ。
 きもちが わ る い 。
 「   ふ、っ   」
 ゾクゾクと震えがはしる。鈍い痺れが脳まで這い上がって。力、が、抜ける。
 「―――弱肉強食ぅ? みたいなぁ?」
 黒瀬が笑う。
 「・・・・・・っ。さい、あく」
 すぐに口元を拭う。舌に残るあまったるさ。たまらない。
 「最悪。も、まじで。アリエナイ。黒瀬ありえないって。なんで―――」
 ―――違和感。
 「―――・・・?」
 クチ、の中。舌、が。
 「なに。これ」
 呂律、が。
 「ぁ・・・?」
 力の入らない身体を起して。そのまま後ろに、すとん、と尻もちをつく。
 「え。あ?」
 床についた手が震える。気がつけば、痺れは全身に広がっている。呼吸するごとに身体が、重、く。
 「   は?」
 ―――あ。駄目だ、これ。
 「だから言ってやっただろうがぁ」
 倒れる直前、黒瀬に胸倉を掴まれた。
 「は。っ。なんで」
 「なぁぁんでだと思う?」
 「・・・しらねー」
 「はハ」
 むかつく顔。
 「毒ぅ」
 「―――・・・ぁ?」
 楽しそうに笑い、黒瀬は続ける。
 「あるんだよなぁ、俺。食えるもんならくってみなァ」
 「ど。く。って」
 なんだそれ。毒。どく? ありえない、だろ。
 「は。ハは。まったく。同情するぜェ」
 「―――わかった」
 「あぁん?」
 首をかしげる黒瀬を睨み。
 「思ってもないくせに、同情とか。むか、つく。
 「だろぉ?」
 ハ。と笑い、黒瀬が手を離す。仰向けに倒れて、俺は動けない。ただただ、黒瀬を睨む。
 「くろせ」
 「んあぁ?」
 「・・・・・・・・・・・・おぼえてろ」
 「     」
 なぜか。黒瀬は吹き出した。
 「おい。こら」
 「―――ひ。は。ハは」
 笑いすぎで涙目にまでなっている。
 「心配しなくても。その無様な格好も舌っ足らずな口調も、しっかりおぼえといてやんよ」
 「あ、ほ。かっ」
 完全敗北だ。こんな屈辱、俺だって忘れない。油断してた、なんてのは言い訳だ。何言っても、どんなに睨んでも、負け犬。
 「―――その余裕、ブチ壊してやる」
 「は。ハ。待ってるぜェ」
 「―――ちッ・・・」
 黒瀬。
 吐き気がするほどイイ匂いがする。
 目障りなくらいウマそうに見える。
 ああ、ちくしょう。食えないってわかると余計に腹へってきただろーがよ。
 なんて暴力的な食欲だ。


 end

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