本の巣



 それは、図書館。
 個人が所有しているにもかかわらず、収められている本の数はあまりにも膨大で主さえ冊数を把握していない。整列する書架を埋める、本、本、本。増え続け る本を収容するために建物は増築を繰りかえし歪な迷宮と化している。図書館と名が付いているものの利用に規則は無く、好きな時に好きなだけ借りることがで きる。一年を通して開館しているのだが、基本的に利用者はいない。
 ある晴れた日。
 本の巣、と主が呼ぶその図書館に、珍しく人の姿があった。
 「うーん。うーーん」
 小さく唸りながら、銀の髪をした少年が書架を見上げている。身長よりも遥かに高い位置にある本からタイトルに目を通していき、足元の段まで確認すると隣 の書架へ。上から順に、またタイトルを眺めていく。離れたところに青い髪の少女がいる。少女もまた、少年と同じように本を見て回っていた。
 「ん。あったあったー」
 少年が声を上げた。背伸びして一冊を抜き取る。
 その本は白かった。
 表紙も、中も白い。挿絵がないだけではなく、どのページにも文字が一つもなかった。少年が白紙を確認している間に、黒山羊が音もなく近づいてきた。
 「ずいぶんのんびりしてるじゃないか。あっちのお嬢ちゃんはもう九冊も見つけてるってのに」
 山羊が笑う。
 「メビスは何でも早いからねぇ。人生、二倍速くらいで生きてるんじゃないかな」
 少年は白い本を差し出した。山羊が紙を食べ始める。
 「んー。目が疲れちゃうんだよ。頑張るよね、メビスは」
 「休んでる時間なんかないだろうに。ほら、そこにも一冊」
 「あれ? 本当だ」
 取り出した本はまたしても白い。本を食べる山羊を見つめていた少年は、ふと腹に手を当てた。
 「おなかすいたなー・・・」
 周囲を見回し、駆けていく。
 「メービースー! お昼にしようよー!」
 少女を探して走り回るが、館内はとにかく広い。
 「メビス、どこー?」
 適当にうろついていると、あっという間に現在位置が分からなくなった。室内で迷子。
 「あれー?」
 どこを見ても本本本本本本本。
 「おかしいなあ」
 彷徨うこと暫し。
 通路の突き当たりに小さな書架があった。他のものとは違い腰ほどの高さしかない。その上にガラスのケースが乗っている。一冊の本が飾られていた。見たこ とのない文字でタイトルの書かれた薄い本。少年が眺めていると、表紙の文字が微かな光を帯びた。
 「ん」
 瞬きした、瞬間。
 「痛」
 少年の背中に分厚い本が当たった。
 「なんだぁ?」
 床に落ちた本を拾い、棚にもどす。と。それが引き金になったかのように、次々と本が飛び出してきた。
 「うわ、うわ、うわ!」
 開いた本が頭や腕に噛みついてくる。少年は思わず逃げ出した。
 「メビスー! なんかおかしいよー!」
 本が飛び回り四方から襲いかかってくる。どこをどう逃げようが、本の巣に逃げ場などあるはずがない。
 「メビスー! メビスー!」
 と。
 前方で炎が爆ぜた。
 「うーわー・・・」
 少年はすぐさま現場に向かった。
 「ワリの良いバイトだと思ったら・・・」
 呟く少女の足元には炎を上げる本が落ちている。少女を取り囲むように飛び回る十冊ほどの本。警戒しているのか、本たちは一定距離をおいている。
 「なんかさぁ、容赦ないよね。メビス」
 離れたところから見守る少年の元に山羊がやってくる。
 「おやおや。やってくれるね」
 「まあ、メビスを採用した時点で多少の損害は覚悟しておくべきだよねぇ」
 「女王の機嫌を損ねちまったなら、仕方のないことさ」
 「じょうおう?」
 山羊と一緒にいると本たちは攻撃してこないようだった。山羊が笑う。
 「じいさん以外には懐こうとしない、じゃじゃ馬でね。縄張り荒らされてご立腹なんだろうさ。さて、お嬢ちゃんはどうするのかな」
 「もしかして、あっちのケースの?」
 「そうさ」
 「ボクらは本の整理してるだけじゃないか。荒らすもなにも、むしろ貢献してない? お葬式してあげてるようなもんだよね」
 頬を膨らませる少年を見上げて山羊は笑った。
 「確かに、死んだ本はもう生き返らない。白紙を棚に並べておいても意味ないし、丁重に弔ってやるのが一番なのさ」
 「・・・食べてるだけだよね」
 「それが山羊の役目だ」
 少女に襲いかかった本が数冊、火の玉になって床に落ちる。
 「紙とインクの分際で生意気な」
 少女が歩きだすと、本たちは道を開けるように離れていった。
 「ジェイソン。その本のところに案内しなさい」
 「あ。聞こえてたんだ。こっちだよ」
 長い通路の突き当たり。小さな書架に腰かけている少女がいた。金色の巻き毛の幼い少女。
 「あれが女王様? ちっちゃいね」
 「無礼者」
 女王は少年の呟きに敏感に反応した。ふわりと腰を浮かすが両足が床に着くことはなく、そのまま空中で停止する。
 「すぐに立ち去れ人間。ここはお前たちが足を踏み入れて良い場所ではない」
 舌っ足らずな威嚇だった。
 「うわあ、可愛い。ねえ、メビス。メビスほどじゃないけど、あの子すごく可愛いよねぇ」
 「本は」
 少年を無視して少女が進み出た。
 「人に読まれてナンボのものなのよ。こんなところで閉鎖独裁国家築くなんて筋違いだわ」
 「っ。うるさい、うるさいっ。お前なんかが読んでいい本なんかないんだっ。これは全部、父様のものなんだっ」
 「だけどグリム。そのお父様が言い出したことなんだよ。正式に依頼された仕事だ」
 静かに告げる山羊は、やはり笑っているようだった。女王が山羊を睨む。幼い顔にありったけの怒りが浮かんでいた。
 「お前の言葉なんか信じない。出ていけ。みんな、出ていけ!!!」
 女王の叫び声とともに烈風が渦を巻いた。
 「メビスっ、これヤバくないっ?」
 「・・・・・・・・・」
 少女は黙って女王を見る。
 小さな赤い光がチカチカと降ってきた。吹き荒れる風がまるで無いかのように、雪のように静かに降ってくる。
 「・・・あ。やばい」
 気付いた少年がゆっくりと後ずさっていく。
 「やばい。やばいよ。こっちのほうがやばかった」
 光は数を増やし、次第に空間を赤く染めっていく。
 「これは・・・」
 「逃げよう、山羊! ものすごくヤバイ!」
 言うなり、少年は一目散に逃げ出した。
 光が一つ、弾けた。
 後は一瞬だった。誘爆する光が炎となって空間を満たす。
 「メビスまたブチギレたあ!」
 少女を中心として、炎の波が図書館を駆け抜けた。
 「―――・・・・・・」
 熱風が吹く。辺りはすっかり静まりかえった。大量の本が床に散らばっている。
 「メビスー・・・? 訊くまでもないと思うけど、平気ー?」
 「まったく。無駄な時間を過ごしたわ」
 少女はおもむろに本を拾い上げた。それは女王本だった。
 「片付けなさい」
 乱暴に女王本を叩くと、表紙の文字が弱々しい光を放った。落ちていた本たちが次々と浮かび上がり書架へ戻っていく。炎に包まれていたはずの本たちだが、 不思議と焼け焦げたあとがない。すぐに通路はきれいになった。
 「お見事」
 山羊が笑う。
 「これで死んだ本の処分も済んだはずだけど」
 「あ。じゃあバイト代もらえるんだね」
 少しだけ髪の焦げた少年が山羊の前にしゃがむ。差し出した手の上に布の袋が乗せられた。袋の中を見た少年は眉を寄せた。少女も中身を確認し、ぴくりと眉 を上げる。
 「なにこれ。少ない」
 「いいや、間違ってはいないよ。二人が回収した本の分だ」
 「回、収」
 少女の声が低くなった。山羊は明らかに笑っている。
 「黒山羊は本を食べてコインを産む。そういうもんだろう? 燃えた本からはコインはとれない。仕方のないことさ」
 「・・・・・・・・・」
 「・・・メビス・・・?」
 恐る恐る少女の表情を窺った少年が震えた。
 「・・・帰りましょう」
 「あ・・・うん・・・」
 少女は無表情のまま立ち去っていく。慌てて少年も後に続いた。
 「またのおこしをお待ちしております」
 山羊が高らかに鳴いた。
 少女が一足先に図書館を出る。
 瞬間。
 容赦のない炎が図書館を包んだ。

 end

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