藤吉郎とワラシ
散らかった部屋。机の上に積まれていた物がことごとく払い落とされ床に散乱している。唯一きれいなのが、その机の上。そこにはなぜか、十歳にも満たない
少女が姿勢正しく正座をしていた。
「―――」
少女の視線の先には藤吉郎がいた。ふたりの距離は五メートルほど。藤吉郎の視線の先には少女がいた。見つめ合うふたり。数十分を無言で過ごしていた。
「うわ。静止画」
ドアを開けたみずほは光景を見るなり呟いていた。驚いた様子もなく藤吉郎は振り返り、そして、盛大な溜息を―――溜まりに溜まった重苦しい息を吐き出し
た。
「待ってた・・・。ものすごーく、待っていた」
「みたいだねぇ。早くもお疲れ模様」
暗い顔をさらす藤吉郎とは対照的に、みずほは楽しげに部屋に入ってきた。並んで少女を眺める。
「後は頼んだ、みずほ。ザシキワラシなんてものどう扱っていいのかさっぱりだ」
「ん~ふふ。可愛い子だね~」
みずほは微かに腰を落として少女に目の高さを合わせた。
「こんにちはー」
だが、少女は無反応だった。藤吉郎と見つめ合っていた時からそうであったように、人形のように上品な笑みを浮かべるのみ。みずほも笑って繰り返した。
「こんにちはー。こんにちはー! こんにちはああああああ!!!」
「やーめーろ」
すかさず、藤吉郎がみずほを小突く。
「子ども相手にムキになってどうするんだ」
「そういう松永は挨拶できたわけ?」
「いいや。声すら聞いていない。喋ってくれないんだよなあ」
「じゃ、意思の疎通はできてないわけか」
「一応、自己紹介はしたんだ。俺が一方的に喋り続けるという、虚しくて仕方のない結末をむかえ、あの状態に落ち着いていたんだが」
「ふーん。さて、どうしようかな」
少女を眺めたまま、みずほは腕組みして唸りだした。
ふと、藤吉郎はドアに顔を向ける。
「そういえば、名倉一馬はどうしたんだ? みずほを呼びに行って、それから?」
「さあてねぇ。あたしはすぐに出てきたから分かんないけど。今頃あたしの助手と仲良しこよししているという予想をしてみる」
「なんだそれ。全く、青春真っ盛りだな」
「だよねー」
溜息をつく藤吉郎を尻目に、みずほは机の上の少女に歩み寄った。観察するように机の周りを回り。
「・・・ん? あれ?」
首をかしげたのち、笑った。にやりと笑った。
「あ~はは。松永、はずれー」
「・・・はずれ?」
「そうそう。ザシキワラシじゃないね」
「だったら」
眉を寄せる藤吉郎の耳を引っ張り、みずほは囁く。
「か・み・さ・ま」
「―――はイ?」
藤吉郎の声が思い切り裏返った。
「こんな子どもが神さんだって言うのか? そんなの信じられ――」
瞬間。壁時計が派手に落ちた。
「祟りだああああ!!」
「信じてんじゃん。ものすごく信じてんじゃん。神様」
すさまじい速さで逃げた藤吉郎は壁に背中を張りつけて震えだす。
「みずほが来る前にもあったんだ! ガラスが割れたんだ!」
指がさす先は窓。
「あ~らら。すみっこのほうが地味に割れてるねぇ。なんだか遠慮がちな祟り」
「遠慮がちなもんか! 容赦も躊躇いもなく割っていったんだぞ、あいつら!」
「・・・あいつら?」
「近所の悪ガキだ!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・祟りじゃないじゃん?」
「子どもを使った間接的な祟りってことだろ!? 俺が一体何をしたっていうんだ! 祟りだの呪いだのとは無縁に清く正しく生きてる俺が、どうして!」
「ま、神様って気まぐれだからね。理由なんかあたしには分からないよ」
「・・・待て。そもそも、なんの神さんなんだ」
訊いた瞬間、どかんとドアが開いた。ビクつく藤吉郎の元に満面の笑みを―――気色の悪い笑みをたたえた一馬がやって来る。
「なんだよなんだよ藤吉郎、不景気なツラして? 笑う門には福が来るって知らないのか?」
「・・・知ってるけどな。どうした名倉一馬。どういう祟り電波を受信してるんだ?」
「また、変な呪いにかかってるんじゃないの、これー?」
不自然なほど上機嫌。不気味なほど上機嫌。珍獣でも見るかのような眼差しをものともしていない。
「笑って今日も頑張れ! いやー、仕事中の藤吉郎って実に生き生きしてるよなっ。俺としては、これからも思い切り仕事に励んでほしいんだよ! な! て
ことで、だ! 藤吉郎の仕事が一層はかどるように役立ちそうな道具をみつくろってきた!」
にこやかに差し出されたのは一枚の紙。藤吉郎とみずほはそろって目を向けた。
「う、ん? 請求書?」
「あたしんとこのじゃん」
金額を確認して、
「 」
藤吉郎から表情が消えた。だが、それもつかの間。
「・・・ぁぁああああああほんだらあああああ!!!」
絶叫じみた怒鳴り声が窓ガラスを震わせた。近距離で直撃を受けた一馬はとっさに耳を塞ぐ。
「なんだ、この額は!? どこにこんな金があるんだ!? おまけに俺名義ときたか! 何を買えばこんな大惨事になるんだ!?」
「高枝切りばさみ」
「た―――」
口を開けたまま藤吉郎は停止した。へらへら笑う一馬から視線をそらすように、ゆっくりと俯いていく。
「・・・そうか、なるほど。分かった。よおく、分かった」
「そっか! んじゃ、支払い頼ん――」
「女か」
「―――は?」
一馬の笑顔が強張った。藤吉郎はそれを見逃さない。一馬に詰め寄りながら静かに続ける。
「なんていったか・・・平野、アスカ・・・? そんな名前だったな、みずほのところの」
「ははは・・・何の話してんだよ藤吉郎?」
引きつった笑顔で一馬は後ずさっていく。
「白状したらどうだ? たらしこまれたな、名倉一馬」
「お、れ・・・別にっ」
「悪あがきは男らしくないぞ。神さんの前だ。さあ、認めろ」
「神、様?」
微笑む少女は真っ直ぐに一馬を見ていた。
微笑む少女は真っ直ぐに藤吉郎も見ていた。
微笑む少女は真っ直ぐにみずほも見ていた。
「―――」
少女は一部始終を見ていた。
「って。ザシキワラシじゃなかったのかよ」
「正真正銘の神さんだ。ごちゃごちゃ言ってると祟られるぞ」
言ったそばから背後の本の山が崩れた。
「ほら見ろ!」
「なんの神様だよ」
「それはもう、すごい神さんだ! 言ってやれ、みずほ!」
「ん? あ、言っちゃっていいの? んふふ~。松永、絶対驚くよー」
視線を独占したみずほは、もったいぶった咳払いをした。十分に間を開けると素敵な笑顔で口を開く。
「貧乏神」
「 」
―――奇妙な沈黙。微動だにしない藤吉郎は停止していた。
「ちょっとー。聞いてんの、松永ー?」
叩かれて、ようやくスイッチが入る。だが、回れ右した藤吉郎は何事もなかったかのように立ち去ろうとした。
「忘れてた。俺は今日、月の裏側に旅立つ予定だったんだ。行ってくる」
「うわ。現実逃避。悪あがき駄目って言ったの松永じゃん。受け入れなよー」
みずほに確保された藤吉郎は机の前まで連行された。
「なあ。これって藤吉郎にとりついてんのか?」
「だろうねぇ。松永の机だし」
「くっ・・・! どうして俺がこんなメにっ」
あらためて少女の微笑みを受け、藤吉郎はたじろいだ。
「みずほっ。神さんをどうにか・・・」
「できるわけないじゃーん? 神様だよ? 神様なんだよ? それこそ祟られたら嫌だもん」
「あ。俺も嫌だ」
みずほと一馬が離れていく。それどころか視線すら合わせようとしなかった。
「他人事だと思ってッ―――。・・・・・・?」
怒鳴りかけた藤吉郎を止めたのは、小さな手だった。少女の手。いつの間にか机を降りた少女が藤吉郎の腕を引く。
「 」
少女の口が動いた。唇は動くものの声は出ていない。ゆっくり、はっきり、少女は何かを繰り返している。藤吉郎は目を凝らして唇の動きを読み取った。
こ
れ
か
ら
も
よ
ろ
し
く
「 」
藤吉郎は笑った。涙目で笑った。ふっきれたような笑顔は、とても儚い。
「ああ・・・よろしく」
右手を差し出すと少女は両手でそれに答えた。心なしか微笑みがやわらかくなっている。みずほの、やる気のない拍手がそれを祝福した。
「・・・泣かない。泣くもんか・・・」
言い聞かせて藤吉郎は笑い続けた。
end