野良零円



 深夜二時。ロクな番組をやってないテレビを眺めていると、こんこんっとドアがノックされた。ドアフォン、付いてるんだけどね。ドアを開けると金髪の少年 が立っていた。笑顔で出迎える。
 「いらっしゃい。待ってたよ」
 「なに。今日は起きてんの」
 いつも通り、気だるげで覇気のない声。尚也は今日も尚也だ。
 「甘いもん食いたいつってたろ」
 ぐ、とコンビニの袋を僕に押しつけて尚也は上がりこんできた。
 「言ったかなぁ、僕」
 もうボケてんのかよ、と呟いて尚也はソファに腰を下ろす。
 「何か飲む? ビールとかビールとかビールなんかが・・・うわ」
 後を追ってリビングに入ると丁度、煙草とライターがごみ箱に投げ捨てられていた。
 「ひどいなあ」
 「あんた、やめたって言ってたろ」
 「ん? んー。やめたよ。吸ってない。置いてただけ」
 「・・・もっと言い訳がんばろうとか思わないわけ」
 「ははは。言い訳ってバレてる時点で虚しいんだよね」
 灰皿まで捨ててある。後で救出しよう。
 「ねえ、尚也くん。今日はずいぶん落ち着いてるね」
 ぼふ、と、隣に座る。
 「いつもだったら情熱的に激しく僕を求めてくるのに」
 「馬鹿だろ」
 「うん」
 心底呆れた眼差しがなんとも気持ちいい。
 「言ったよね。待ってたんだよ、君を。連絡くれて嬉しくてね」
 「あんた友達いないもんな」
 興味なさげに言う尚也に、どうかなあ、と笑ってみせる。
 友達なんか何人いようと関係ないよ。僕は、尚也がいればいいんだから。
 「体がね、尚也くんを求めてるんだよ。よく言うよね? 体は正直だぞーって」
 「・・・安いAVだな」
 「ごめん。僕そういうの見ないんだ。尚也くんは好きなの? 思春期だもんね」
 「いちいちムカツクな」
 舌打ちして顔をそむけた尚也はポケットからナイフを出した。折りたたまれた刃がパチンと起きる。職務質問なんかされたら一発でアウトのシロモノだ。
 「俺は別にあんたに会いたいなんて思わなかった。あんたを求めてもいない」
 ナイフを弄びながら尚也は呟く。
 「悲しいこと言うね」
 でも嬉しい。
 尚也が嘘をつかない人間だってのはよく分かってる。彼の言葉は本心だ。
 「だったら、どうしてウチに来てくれたのかな」
 「理由なんかない」
 「だろうね」
 つまり尚也のほうも、だ。無意識に僕を求めてる。自覚してないあたりがなんとも微笑ましいじゃないか。
 くすくす笑い続けていると、急に尚也が動いた。押し倒されてソファに横になる。
 「ちょっと会わない間に力、強くなった?」
 笑って訊いても答えはなかった。僕を見下ろす顔は、はっきりとイラついている。
 ナイフが頬に触れた。
 「・・・・・・顔は駄目だよ。こっちに、ね?」
 下敷きになったまま、どうにか胸元をはだける。尚也の視線がゆっくり動いた。
 「・・・・・・」
 体を起して肌に触れてくる。冷たい指。思わず震えてしまうけど、そんな僕の反応なんかお構いなしに尚也は指を滑らせる。ゆっくり、ゆっくり、あくまで緩 慢になぞって、る。僕の身体中にある傷―――切り傷、痣。どれも尚也が付けたものだ。
 「最近どうも治りが遅い気がするんだ。僕ももう歳かな」
 「栄養足りてないんだろ。偏食どうにかしろよ」
 「そういえば尚也くんって料理できるんだよね。一緒に住まない?」
 「嫌だ」
 「言うと思った。つれないなあ」
 笑って手を伸ばすと尚也は身をかがめてきた。首に腕をまわして抱き寄せる。
 「ずいぶん焦らすね。早く虐めてほしいのに」
 可愛くねだってみたら鼻で笑われた。
 「あんた、マジで変態だな」
 薄い刃が肌を滑る。鋭い痛み。あっさりと皮膚が裂け、血が線を描く。
 「痛い?」
 尚也が耳元で囁く。押さえこまれて身動きできない状態で、切られて、切られて。浅い傷は熱を持つ。躯が熱いのは痛さ故か、尚也の体温か、それとも僕が興 奮しているからか。
 「は・・・は、は。全く・・・たまらないなぁ。痛くて痛くて涙が出るよ」
 「喜んでるくせに」
 「くせに、って言い方は良くないね。見下されてる気分」
 「見下してんだよ」
 「あ。ひど・・・いっ、た!」
 油断してるところに、ぐいっとキた。
 「尚也くん、なんだか愉しんでるでしょ」
 僕が痛がると尚也は悦ぶ。だから、ちょっとだけ大袈裟にしてみることがあるんだけど、今のは思いっきり素のリアクションだった。これだけ近距離だと互い の表情は嫌でも良く見える。無表情すぎる尚也に、表情が浮かぶ。
 「ねえ尚也くん」
 「なに」
 「勃ってる?」
 「     」
 「あ。ものすごく引いてるね。いや、ほら。なんだか僕たちヤラシーことしてるみたいじゃない? 雰囲気が」
 「・・・・・・・・・今更」
 「あれ?」
 ちょっと驚いた。
 「・・・だから、なに」
 イラついてる尚也には悪いけど、笑っちゃうなあ。
 「なんだよ」
 「気にしないで」
 「・・・・・・・・・」
 尚也はナイフを置いた。両手が僕の首を掴み、反応をうかがうように見下ろしてくる。
 「うん。いいよ」
 「変態」
 「うん。でも、殺さないでね」
 君が僕のことをどう思ってるのか、本当のところは分からない。知らない。知りたくもない。だけど、これだけは知っててほしい。
 「君が必要なんだ」
 「・・・あ、そ」
 尚也の手に微かに力が込められた。
 笑顔を、返す。
 尚也は、そうだ、笑わない子だなあ。
 「―――やめた」
 「あれ?」
 あっさりとソファを離れていく。
 「どうしたの? 中途半端だね」
 「首なんか締めたら、あんた漏らすだろ」
 「失禁するほど強くしちゃ駄目だよ。癖になるとマズイでしょ。お互い」
 服を整えてる尚也は帰る気マンマンらしい。こうなると何を言っても無駄だ。
 「寂しいなあ。ねえ、今度はいつ来てくれるの?」
 「もう来ない」
 「そっか。またね」
 背中に手を振る。挨拶もなしに尚也は玄関に向かった。
 「あんた最近すごくやりにくいんだよ。訳わかんないこと言うし」
 不満の込められた呟きを残して尚也は帰っていった。静かにドアが閉まる。
 「思い通りにはいかないもんだなあ」
 僕は、独りっきりで煙草をふかすしかない。
 「君が帰ったあとは寂しくて仕方がないんだ。ねえ、尚也くん」
 君は頭の良い子だから、僕の気持ちなんてとっくに気付いてるはずだろ? ワケわかんないだなんてとぼけて、相変わらず僕を焦らしてくれる。
 「一緒に暮らしたいなあ。そしたら毎日ずーっと虐めてもらえるよね」
 首に残る感触。 全く力は込められていなかったけど、忘れられない。ナイフなんてモノ無しに、あの手が直接僕を苦しめてくれる。生々しい感触、感覚。
 「電話番号、教えてくれてもいいのにさ」
 待ってるだけってのは不安なんだよ。
 だから。
 「見捨てないでね。ね、尚也くん?」
 ゆっくりと立ち上る煙が動いてる。朝から窓が開けっ放しだ。
 寒いはずだ。尚也がいる間はなんとも思わなかったのに。
 「寒い。ああ寒いなあ、ホント」
 今夜は痛みを抱いて眠ることにしようか。

 end

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