きみのため


 目覚めは最悪だった。
 頭が痛い気がするし、とにかく身体が重い。ダルイ。あと多分、寝癖がついているがいつものことだ。
 毎度毎度こんな思いをするくらいなら眠ったまんまでいいのに。
 動く気になれず上体を起こして惚けていると。ぐぅ、と鳴いたのは腹の虫だ。頭痛よりも倦怠感よりも問題なのがコレか。というか、そもそもの原因がコレだ。目覚めたのも、身体が不健康すぎるのも。
 「・・・まじで腹減ったな・・・」
 近くに食料はない。閉めきった暗闇は寝るためだけの部屋だ。とにかくここを出ていかなくては食えないわけだが、それがまた億劫だ。このままじっとしてい れば食料のほうからやって来る可能性もあることはあるのだが、それより早く俺が餓死する確率が高いような気もする。今のところ死ぬ予定はない。
 「―――・・・」
 溜息。
 二度寝したい気持ちを追いやって部屋を出ると。
 「う・・・わ。びっくりした」
 ガキが驚いていた。ワンルームなんだから、そりゃ鉢合わせもするだろう。ちょうど帰宅したところらしくコートをたたんでいるガキを尻目に、俺は部屋の―――もとい、押し入れの戸を閉める。
 窓の外は暗い。夕飯時だ。見れば、台所にはスーパーの袋が置いてある。
 俺の存在を気にしつつ無視を決め込むという、器用なんだか不器用なんだかなことをやっているのは同居人。満月を見ても変身しない、ヒト型してるが耳と尻尾は年中出しっぱなしの狼少女。出来損ないの楓ちゃんだ。
 「なぁ。腹減ったんだけど」
 「そんな報告いらない。どっか行ってくればいいよ」
 そっけない楓は買ってきたものをしまい始める。ほぼお菓子。夕飯メニューの予測は不可能。
 「面倒なんだって」
 「じゃあもう死ぬしかないね」
 相変わらずな物言いだ。大人な俺は、もちろん軽く受け流す。こいつが俺を嫌ってんのはよく知っている。なのに、まだ俺をここに置いてんだから感心してやってもいい。
 ―――それはそれとして。
 俺は腹が減ってるわけだ。
 「なぁ。俺あんま動きたくねぇんだわ」
 「―――」
 「調子悪すぎるし」
 「―――」
 「寒いし」
 「―――」
 見事なシカトっぷりに惚れ惚れする。
 そうこうしているうちに片づけを終えた楓がもどってきた。片手にはカップに入ったスイーツ。もちろん楓が自分で食べるぶんだ。
 「なぁ。楓ちゃん。俺も食事したいわけだ」
 「はァ?」
 なに言ってんのコイツ死ねばいいのに、と。楓の目は口ほどに語っている。めげない。
 「外行くの面倒だし、おまえでいいや」
 「―――」
 眉を寄せて俺を睨んでいた楓は、次の瞬間。部屋の隅まで飛びのいていた。流石は狼。とっさの動作は手放しで褒められる。が。着地で尻もちは減点だ。
 「なっ・・・な、に。いきなりっ」
 いままでの冷めた態度とはガラリと変わって、顔を真っ赤にしたパニック気味の楓ちゃん。
 「なにって。だから。食事」
 「はァ・・・?」
 「外で女襲うのもダルい。楓ちゃんの血でいいわ」
 「わたしは良くない!」
 「なんで。狼だろうが女だし処女だし。条件そろってる」
 愛用のクッションを楯のように構えて逃げようとする楓が面白い。狭すぎるこの部屋じゃあ、あまりにも些細な抵抗だ。今まで放置してたから油断してたのか。非常食ってオチもあるだろうが。まぁ、俺自身が楓をエサと認識していなかったわけだが。それも密かな疑問ではある。
 ―――あいつの妹だから、か?
 「・・・・・・。ほら、さっさと血飲ませろ。弱肉強食なんてよくある話だ。俺とおまえ、強いのはどっちだよ」
 余計な思考を追いやるように投げやりに言って。後悔した。楓の顔つきが変わっている。乙女的リアクションとは違い、反抗的態度とも違い、やる気だ。ヤる気だ。静かな闘志―――殺気?が伝わってくる有り様。
 あぁ、寝惚けてるな俺。無力さを思い知らせるような発言、楓には厳禁だってのに。
 弱肉強食上等ってか。正当防衛とかいう名目で存分にヤってやる、みたいな雰囲気。
 俺だって退けねぇよ。
 卓袱台を挟んで俺たちは互いを見据える。楓は低く身構え、さながら獲物を前にした獣のようだった。押さえ込んだバネが弾けるように、少しでも俺が動けば襲いかかってくるだろう。
 ―――おかしい。俺の食事の時間だったはずなのに。いつの間にやらデッド・オア・アライブ。いやいや、俺が勝つのは分かりきっている。空腹やら不調を差し引いてもガキの相手くらい、それこそ朝飯前だ。腹ごなしにもならな―――あぁ、まずい。
 じり、と距離を詰めた途端に悪寒が背すじを走り抜けた。
 「―――っ」
 反射的に飛びのいた空間を暴風が通り過ぎる。それはガキが繰り出したとは思えない程に必殺めいた蹴りだった。狼なら牙とか爪を使えと言いたい。
 「楓ちゃんよぉ。オトメがタマ狙うんじゃねぇよ」
 「日光に灼かれて死ねばいいのに」
 「あとな。口。んな暴言ばっか吐いてっと、オニィちゃんが悲しむんじゃねえの」
 「ッ」
 地雷を踏んだ甲斐がありブチギレた楓が飛びかかってくる―――というのを予想してたんだが。
 「―――」
 楓は一歩も動かなかった。視線だけで相手を殺すことができるなら、今の楓がそれだろう。よく踏みとどまった。
 餓鬼は、俺か。
 「―――・・・・・・」
 短く息を吐いて肩の力を抜く。一目で分かるような明らかな脱力。
 「・・・・・・・・・」
 すぐに楓は背を向けた。もう一秒だって視界に入れておきたくない、と。
 「・・・馬鹿みたい」
 その通り。それは俺を非難する言葉であり、自身を嘲る言葉だろう。
 「だな。適当にぶらついてくるわ」
 俺も大人げなかった。腹が減ってイラついてんのか。まだ脳みそが寝てんのか。外の空気吸ってくりゃマシになる、はず。
 のろのろと出ていこうとして。
 「待ってよ」
 「ん?」
 そっぽを向いたまま、嫌々といった口調で楓は言った。
 「服。着てよ。変態」
 「―――。あー、そりゃそうか」


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